ロッコール 2

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     Voigtlander Bessa-R3M + MINOLTA M-rokkor 40mm F2(for "CLE") + Fujicolor REALA


■ミノルタの歴史

そのものが持つ歴史や背景を調べていくと、知らなかった興味深い事柄が見えてきて、
面白いものです。

創業は1928(昭和3)年。創業者は貿易商の子息だった田嶋一雄。
当初の屋号は『 日独写真機商店 』でした。
(この名前はのちにライツ社との提携をもつきっかけ作りに一役買うことになります。)






1929(昭和4)年に第一号カメラ、「ニフカレッテ」(乾板カメラ)発売。

1931(昭和6)年、「モルタ合資会社」に社名変更。

1934年に発売された「ミノルタ Vest」のヒットによって、1937(昭和12)年に株式会社化。
社名は「千代田光学精工株式会社」。

その後ローライを手本に国産初の2眼レフカメラをつくり、1953年の「ミノルタコード」や
55年の「ミノルタオートコード」が業界内で大ヒット。

1958(昭和33)年には、国内ではまだ馴染みが薄かったが海外では主流となりつつあった流れを読み取り、
35mm一眼レフの一号機、「SR2」を発売。

1962(昭和37)年、カメラのブランド名だったミノルタを冠し、「ミノルタ株式会社」に改称。

同62年にはアメリカの宇宙船フレンドシップ7号にミノルタのレンズシャッター機「ハイマチック」、
67年にはアポロ8~11号に「スペースメーター」(露出計)が採用され、この一連の出来事は
ミノルタはもとより日本のカメラ全体への評価を上げるきっかけとなったそうです。

徐々に一眼レフへと主軸を写しつつ、世界初のCds露出計内蔵カメラ「SR7」や、
これまた世界初のTTL上下分割開放測光を採用し大ヒットとなった名機「SRT101」などを輩出。

1971(昭和46)年、ドイツの老舗メーカー「ライツ社」との技術協力がスタート。
CL」の製造や「CLE」を発売。再び世界中から注目を集めます。

72年以降になると「X-1」にはじまるXシリーズを展開、
1985(昭和60)年に“α(アルファ)ショック”と言われ社会現象ともなった、世界初のAFシステム一眼レフ「α-7000」など、
国内のみならず世界的に大ヒットしたカメラを多数送り出してきました。

独創性や国際性、そして先見性をもって成長してきましたが、
87年にアメリカ・ハネウェル社によるAF技術の特許侵害訴訟を起こされ和解金を支払ったことや、
90年代以降他社の製品にシェアを奪われるなど苦戦を強いられ、
2003(平成15)年コニカと合併し「コニカミノルタホールディングス」となったが業績は悪化。

2004(平成16)年にカメラ・写真事業から撤退。
”αシステム”などのデジカメ部門はソニー株式会社に、双眼鏡は株式会社ケンコーにそれぞれ譲渡され、
今に至っています。


〈参考文献〉
・「ミノルタカメラのすべて」 エイムック 枻出版社
・「Wikipedia」 (Web site)

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by tatsuya-zz | 2010-11-25 22:30 | カメラのはなし