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ロッコール 4

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     Voigtlander Bessa-R3M + MINOLTA M-rokkor 40mm F2(for "CLE") + Fujicolor REALA


■エルンスト・ライツ社とミノルタの提携

1960~70年代のころ、当時西ドイツでは材料費の高騰問題や世界経済の落ち込みなどで
カメラ業界全体が不況だったようで、ライツ社も例外ではなかったようです。

労働賃金も他所の国に比べて高かったため、品質は最高級だったが値段が高い。
この頃発売していたライカM5はボディも大きいしコストも割高。

世界的に主流となりつつある一眼レフを巻き返すために、レンジファインダーカメラに新製品を投入すべく、
廉価版のカメラ「 ライカCL 」を構想し始め、安いコストで作るための提携先を探す作業を開始。

そこで色々と模索し、当時世界的にカメラ産業の評価が高く、西ドイツに比べて労賃が安い
日本のメーカーとの提携が、選択肢の中の一つにあったようです。






1969(昭和44)年、ケルンで開かれたフォトキナで、ライツ社がミノルタの当時の製造部長に
CLのプロトタイプを見せたところから、ミノルタとの提携話が始まったそうです。

1970(昭和45)年、ライツ社はトップの技術者を日本に派遣しています。
目的は、日本の技術水準や製造システムを評価するため。
結果、「日本人はライツ社の水準と同じ技術レベルでカメラを作っていた」と評価しています。

ほかの日本のメーカーとも多少の話しはあったそうですが、結局ミノルタとの提携に落ち着いたのには、

・競合する顕微鏡を作っていなかった
・生産ラインのキャパに余裕があった
・ミノルタは創業当時からライツ社の品質を手本としていた

などの理由からで、ほかにも

・創業当初は「日独カメラ商会」という名前だった

ということも、提携を決めた理由の一つだったそうです。

1971(昭和46)年、西ドイツ・ウェツェラーにあるライツ社で提携の署名が交わされ、
エルンスト・ライツ社にとっては初の、海外企業との業務提携がスタート。

当時はドイツ・アメリカ・日本で大きく報道されたとのことです。


〈参考文献〉
・「 ライカ物語 ~誰も知らなかったライカの秘密~ 」  エーミール・G・ケラー著 光人社・刊
・「 Wikipedia 」 (Web site)

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by tatsuya-zz | 2010-11-28 22:54 | カメラのはなし | Trackback | Comments(0)

ネット空間の片隅に咲く、小さな・小さな、写真ブログ。大阪発 ~since 2007.1.1
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